私達は様々な法則の中で生きています。
しかしその中で一番大事なのが愛の法則(神の法則)であるキリスト意識だと私は思っています(これは宗教じゃないです)
心をつくし、想いをつくし、魂を尽くして自分のように人を愛するという事
これは人間だけではなく動物に対しても
私達の身体は生ける神の宮であり神殿
地上と一体化した普遍的な意識が生命
生命とは生き物すべてに現れています
生命の目的は欲望を満足させる事でなく、魂の意識するこの地球をよりよい住まいにする事にある
神は遠い場所にいる訳でなく、あなた自身の胸の内います
※言葉に数字をたして計算します |
◎私達の本質は光です
「人間」の言霊数はいくつになるか、、、
二=25、ン=1、ゲ=54、ン=1合わせて81
9方陣最大の数「81」
まず、81は「人間」そのものであることは判りましたが、生まれる前はどうでしょう。
「胎児」です。
タ=16、イ=5、ジ=60 やはり81になり、
人間は生まれる前も生まれてからも81。
ならばその後はどうなるか「先祖」です。
ただ、この場合、「先祖」に含まれる「ン」は「10」を使います。
目に見えるものは通常の「1」でよろしいですが、目に見えないものの場合「10」を使ったりします。
先祖は目でみるものはありませんので。
このあたりの”あいまいさ”こそが神道のすぎれたところであり、日本の文化として今後世界に知らしめるべきのものでもあります。
すぐに白黒はっきりつけたがる文化圏で育つとこの”あいまいさ”の微妙な加減を肌で感じる事ができず、善悪だけで物事を判断しがちになってしまいます。
そしてすぐに争う。白黒つける為に。
それでは豊かな感性が育まれません。
「ン」に「1」と「10」がある理由ですが、まず「1」。
神社の狛犬が「阿」と「吽」=あうんで人々を迎え入れているの始まりと終わりを表すものであり、それは生まれて死ぬまでを意味しているように物事は「1」に始まり「1」に終わるという事です。
一人で生まれてきて、生きている間は多くの人々と交わりますが、死んでいくときはまた一人で行くのですから。
なので始まりの「ア」と終わりの「ン」が対比させてあります。
では「10」があてはめてある理由はというと「10」を言霊数に持つのは「キ」です
「キ」とは”あるんだけども目に見えないもの”に当てられた数霊で、それが「氣」です。
「氣持ち」は感ずるものであって目にみえませんし、発音は変わりますが「氣配」というのは目に見ないけど存在しています。
「穢れ」は「氣枯れ」で、そこに宿っていた「氣」というエネルギーが枯れた状態を指しますし、逆に「清い」は「氣良い」です。
何かあるんだけども目には見えない。
それが「キ=10」で、日本語の場合は「ン」から始まる言葉はありませんし、「ン」だけでは用途がみえない。
ではなくてもいいのかといえばないと困る。
そのような理由から先人たちは「ン」に「10」を当てはめたのでしょう。
「10」は「十」で、「十」は「1」が火、「一」が水を表すため、合わせて「火水」。
「火水」は「神」です。
ひょっとすると「ン」は神のうなづきとして「10」を当てたかもしれません。
「ん、それでいいなじゃ」とか「ん、判った」のような。
なので「先祖」はセ=14、ン=10、ゾ=57 合計81です。
胎児が81、人間が81、先祖も81。
一体「81」ってなんだろうか。
その答えは「光」です。
ヒ=30、カ=6、リ=45 81です。
つまり人は生まれる前もうまれてからも、そして死んでしまったあとも本来は「光」の存在であるのだと数霊が証明しているのです。
そのような、「光」の存在であるにもかかわらず、すぐに人は将来に不安を思い恐怖を感じてしまいます。
その必要はありません。
なぜならすべての人にとって「未来」は、
ミ=35 ラ=41、イ=5 そう81。
つまり未来は「光」そのものなのですから。
「光」でなくなるのは不安や恐怖といった想念がやがて目の前に現れるのであって、元はなにかといえばその人の発した想念そのものです。
数霊が「未来」も「光」であることを教えてくれました。
あとは自分自身が「光」の存在であるという認識を持ち続けるか忘れてしまうかだけの事です。
自分自身を信じきってこそ初めて自ら「光」であることが発揮でき、自分自身を信じきる事ができた人だけが神を信じきる事ができます。
口先だけで「私は神を信じています」などと言っても駄目です。
その人が自分自身を認めてなければ発する「気」から判りますので。
不安だらけからそのような言葉を口に出し、そして自分を安心させているんですね。
不安をおもったら自らの胸の奥に「81」を思い浮かべて下さい。
もっともっと輝いてくるはずですよ
一人一人が自ら「81」にあると、国家全体が光で溢れてきます。
そうならないといけないんですね。
何しろ日本の国番号こそが「81」なのですから。
日本が世界に先駆けて「光」になり、そして人類の行く末に「光」を差す。
それこそが神国日本に与えられた使命であり課題なのですから
では誰がそれをやるか。
政治家ではありませんよ。
宗教家でもない。
国民一人一人が自分らしさを発揮することで国全体が輝いてくるのです。
地上にいると判りにくくとも、天から眺めればすぐにわかります。
神々はそうなることをわかっていて日本の国番号に「81」があてはまるよう”偶然”を装った。
”必然”を起こしたのですから。
神々を祀る社を「神殿」と呼びますが、「清め」られたその場所に神は光となって下りるんですね。
シ=15 ン=1 デ=64 ン=1 81なり、
キ=10 ヨ=37 メ=34 やはり81です。
「神殿」は光の下りる場。
「清め」ることで穢れを祓い、光に戻ること。
なので共に「81」になるのです。
(略)
おまけにもうひとつ。
日本人の主食「米」は「41」でした。(カ=6 ミ=35 神=41)
おかずはなにがいいかというと「漬物」です。
ツ=18 ケ=9 モ=32 ノ=22 81です。
ということは、「米」と「漬物」の組み合わせは「神」と「光」という事になります。
すごいですね日本食。
えっ、内か足りないですって?
ひょっとして「味噌汁」のことでしょうか?
忘れた訳ではありません。
ミ=35 ソ=12 シ=15 ル=43 合計105になりました。
「105」は何か?
「105」は「アマテラス」です。
「米」と「漬物」と「味噌汁」は「神」と「光」と「アマテラス」なのでした。
そして「105」は「世界平和」でもあります。
日本食で終わらせるのはもったいないので「味噌汁」を地球食として広めていきましょう!
「数霊に秘められた宇宙の叡智」より 深田剛史著
※著書の中から抜粋して転載しました(本買って下さいませ~♪) |